先進国と開発途上国

植民地政策の始まり まずはポルトガルとスペインのトルデシリャス条約

植民地政策のはじまり

コロンブスは15世紀に活躍した船乗りで探検家、「アメリカ大陸を発見した」ことで有名です。

コロンブスが活躍したこの頃は、まだ地球が球体であることも理解されていない時代でしたが、ポルトガル、スペインで航海の技術が発展し海から他の地域への進出が始まりました。

実際に海外進出を最初に行ったのはポルトガル王で、コロンブスの「アメリカ大陸発見」より70年以上前の1415年のことでした。
アフリカの都市を征服したのです。

いずれにしても、以前から暮らしている地元住民からしたら”発見”とは迷惑な話です。

世界を2分するトルデシリャス条約

ポルトガル、スペインの二大航海国はこの後争ってアフリカ、アジア、南アメリカへ侵出し、1494年になんとこの二国で世界を2分割する条約を勝手に結びました。
トルデシリャス条約です。

トルデシリャス条約

これによって、ポルトガルはアフリカ・アジアを、スペインはトルデシリャス条約のラインにひっかかっているブラジル以外の南北アメリカをそれぞれの領土と認め合ったのです。

とすると、日本はポルトガルの領土というわけですが、1494年の日本といえば室町時代、全然日本でした。
ですが、1543年にはポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲が伝来しました。
また、1549年にはポルトガル王から派遣された宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸しました。
こうみると確かにポルトガルの気配ムンムンです。

地球は丸かった

トルデシリャス条約で、ポルトガルはどんどんアジアの遠方へ勢力を伸ばしていきました。
一方スペインはアメリカ大陸を超えてどんどん先へ進みました。
そうしていくうちに、ポルトガルとスペインが地球の裏側で“再会”したのです。
地球は丸かったのです。

世界2分割第2弾 サラゴサ条約

地球の裏側で“再会”したポルトガル、スペイン両国には新たな取り決めが必要でした。
サラゴサ条約です。
これにより、丸い地球が2分割されることになりました。
ただし、話し合いによりフィリピンはスペイン領となりました。

サラゴサ条約

日本はというと、東北北海道以北はスペインで本州以南はポルトガルのように見えます。
スペイン人の商船が初めて日本に来たのは1584年、長崎県の平戸に来航しました。豊臣秀吉時代の初期です。
秀吉は両国が日本を狙っていることを認識していたのでしょう、1591年にインド副王(ポルトガル)と、フィリピン(スペイン)に貢物をもってくるよう要求しました。

1600年代前半に描かれたポルトガル船の荷揚げとポルトガル人の行列。

イギリス・オランダの進出

ポルトガル、スペインの二大巨頭に割って入ってきたのが、イギリスとオランダです。
イギリスは1588年にスペインとの海戦で勝利した後、勢いを増し、アジアへの進出を推し進めイギリス東インド会社を設立しました。
東インドは現在のインドと東南アジアをさします。

オランダはもともと国の境界がほぼ海といってよいくらいの地形に恵まれた国で海に強く、造船技術も進んでいました。
スペインが海外進出を盛んにしていた頃、オランダはスペインの支配下にあったのですが、独立戦争を開始し1581年に独立しました。
独立した勢いでスペイン、ポルトガル、イギリスに負けじと1602年オランダ東インド会社を設立しました。

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