植民地政策の変化 定住型植民
ポルトガルは最初は植民地のブラジルでとれる収穫物を輸出していましたが、より利益をあげるために、商品を生産して輸出するようになりました。
生産するには、人と生産物が必要です。
ポルトガル人はブラジルの住民・インディオに断りもなく勝手に土地を分割しそこにポルトガル人を移住させました。
生産物は気候的に適していたサトウキビでした。
ブラジルの住民・インディオとの関係
インディオはもともと自分たちの生活がありました。
そこにいきなり海から知らない他人がズカズカと入ってきて、あれやこれやと物色して収奪していったわけです。
インディオは抵抗しましたが、圧倒的な武力によりかないませんでした。
また、ポルトガル人はインディオが免疫力をもたない天然痘やはしかももってきたために、インディオが大量に亡くなったこともありました。
サトウキビを生産するため、ポルトガル人はインディオを奴隷的に扱いました。これにたいしインディオも抵抗しましたが、抵抗したインディオは奴隷にしてよいとポルトガルが決めていました。
植民地側の生活水準はいきなり悪化しました。
画像は、wikipediaより。サトウキビプランテーションを描いた19世紀のリトグラフ、シオドア・ブレイ作。右側がヨーロッパから来た白人監督で、奴隷が収穫を行っている。左にはサトウキビ輸送に使う底の平らな船がある。
奴隷は、インディオの他、黒人奴隷も多く存在していました。
黒人奴隷は、奴隷商人がアフリカからアフリカで生活をしている普通の人を誘拐してきて、植民地に連れて行って商品として売ったのです。
主と従
定住型植民地政策は、生産管理から流通までを抑える大国が「主」で、農作物や資源を産出するために奴隷的に労働する現地が「従」という関係をつくりあげました。