先進国と開発途上国

アフリカの奴隷貿易 太平洋奴隷貿易の始まりから移動経路、廃止まで アメリカの人種差別問題の元をわかりやすく【地図・イラストで一挙解説】

植民地と奴隷

奴隷は古代の時代から戦争での勝者が敗者を奴隷にするといったことは行われていましたが、戦争もしていない人間を経済成長のシステムに組み入れて貿易の対象として売買するようになったのは、植民地支配がしかれるようになってからです。
この時代の奴隷貿易は大西洋奴隷貿易とよばれます。

ここでは大西洋奴隷貿易の始まり、実態、奴隷制度の廃止、そして現在も存在する奴隷制についてまとめます。

大西洋奴隷貿易の始まり

まずはポルトガル

大西洋奴隷貿易を最初に始めたのはポルトガルです。
ポルトガルは15世紀、航海技術の発達が世界に先駆けて進んでいて、アフリカ、アジア、南アメリカへ進出しました。

アフリカの黄金海岸では金が採れ、その採掘に従事させるために奴隷として働かせていました。

採掘した金は貿易品として輸出しますが、やがて、奴隷自体を輸出する商品として扱うようになっていきました。

奴隷は、アフリカで普通に生活を送っていた人を武力で誘拐する場合や、部族同士の戦闘で捕虜となった者が奴隷として売られる場合がありました。

ポルトガルは15世紀以降植民地を広げていき、奴隷貿易は続きました。

ヨーロッパ諸国

植民地の拡大は、ポルトガルだけでなくヨーロッパ諸国も参画していて、奴隷貿易にも加わっていきました。

オランダ、フランス、イギリス、デンマークなどです。

奴隷貿易の実際

布留川正博著『奴隷船の歴史』(岩波書店)によると、アフリカから輸出された奴隷の人数は、1501年~1867年の366年の間に約1,250万人となっています。

地域で多いのは現在のコンゴからアンゴラにかけての西中央アフリカです。

奴隷の主な移動経路

資料:布留川正博『奴隷船の世界史』岩波新書

船といっても人間扱いではない劣悪極まる状況で、航海中亡くなる人も多くいました。
下図は奴隷船ブルックス号の船内図です。

ここで獲得された奴隷は船に乗せられて植民地のブラジルやキューバなどに送られていったのです。

奴隷の廃止

植民地の奴隷たちは逃亡を繰り返すなど抵抗していました。

18世紀にはハイチで大規模な反乱を起こすなど、連携して行動を起こすようになり、逃げ切る人々も現れるようになりました。
逃げ切った人々は共同体として生活するようになりました。
そして、農場にいる奴隷たちを救出しようと農場を襲うなど支配国に戦いを挑んでいました。

こういったなか、イギリスで人道的見地から奴隷貿易廃止の運動が始まり、奴隷貿易は1807年に廃止されました。

イギリスのウェッジウッドが反奴隷キャンペーンのために作成したメダル「私は、君たちと同じ人間ではないのか、君たちの兄弟ではないのか?」と書かれている

奴隷制度自体が廃止されたのはイギリスが一番早くて1833年、フランスで1848年、オランダで1863年、スペインで1886年でした。

アメリカ合衆国の奴隷廃止

アメリカ独立

アメリカ合衆国は1776年に独立しました。
どこから独立したのでしょうか。イギリスからです。

アメリカ大陸はそれまで、イギリス、フランス、スペインの植民地でした。

ですので、アメリカにも奴隷が輸入されました。

アメリカ植民地の推移 1664年

アメリカ植民地の推移 1754年

アメリカ植民地の推移 1775年

最初に独立したアメリカの13州

 

南北戦争

1861年にかねてから関税などの面で対立していた北部と南部の間で戦争が起こりました。南北戦争です。

北部は商工業の比率が高く奴隷よりも賃金労働者が必要とされていましたが、南部は農産物と綿花の輸出に依存していたため奴隷を必要としていました。

北部側で戦った奴隷。奴隷解放宣言

北部は奴隷解放が進んでおり、戦争では奴隷は北部の側として戦いました。

戦争は北部が勝利しリンカーン大統領は1863年に奴隷解放を宣言しました。

リンカーン

黒人は解放され1875年には黒人の法的平等が確認されましたが、これらは形式にとどまり白人の黒人に対する差別意識は変わりませんでした。

根強い人種差別

白人による黒人差別はアメリカで連綿と続いていて、2020年のアメリカ大統領選挙では焦点の一つとなりました。

アメリカのアフリカ系の黒人は移民としてわたってきた人もいます。近年アメリカにわたってきた人々は学歴が高い人が多いということです。

アフリカ分割

ポルトガル、スペイン、イギリス、フランス、ベルギー、イタリア、ドイツは奴隷貿易廃止後、今度はアフリカ大陸自体の利用価値にめをつけ、植民地にしようと奪い合いました。

イラスト さいとうじゅん

アフリカには未開拓の資源があったり、運河や港それを結ぶ陸路の確保などで大国がぶつかりあったのです。

あまりに競争が激しくなったので1884年に調停の会議がベルリンで開催され、アフリカ分割のルールが決められ、これらの国々によってアフリカは一気に分割されました。

現代の奴隷

奴隷は現代でも形を変えて存在しています。

例えば、貧困の世帯にテレビを売って払えないような借金を負わせて、そのカタに自分や家族、子どもを取る。

タイやインド、パキスタンに多くみられます。

特に女児は売春で搾取されることがあります。

だましのパターン

職を探している人に、良い条件を提示して契約を交わし、現地に移動させたら奴隷労働をさせる。

インド、バングラデシュ、パキスタン、東南アジア、ブラジル、アラブ諸国などでみられます。

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